●次女産まれる
●周りの協力がなければ乗り越えられなかった
●難聴がわかるまで
精神的にも肉体的にも、怒涛の毎日で
沢山ストレスがかかった事でしょうに。
しっかり温まり、スパッと産まれてきてくれました💞
あなた、ずっと前からうちにいたよね?
と思うほど、何の違和感もなく家族の一員に🤗
今まで小さいと思っていた長女は
小さい小さい妹が産まれて、大きくて怪獣に見えました笑
●周りの協力がなければ乗り越えられなかった
入院中と床上げまでは、義父母がパパと長女のお世話をしてくれ
近所に住む母がママと次女のお世話をしてくれました。
その間も、長女の療育も止められないので
パパが午前中に、長女を訓練に連れて行き、帰宅し、長女を置いたら仕事へ。
父親にとっても我が子だから、
当たり前と言われたらそれまでだが、本当にタフで
家族を最優先に考えてくれ、いつでも協力してくれました。
一人では到底乗り越えられる壁ではなかった。
人に頼る事が苦手だったので、なんだか落ち着かなかったが
この先7年間も、みんなにお世話になりっぱなしになる事になりました。
長女の訓練中は、雨の日も風の日も雪の日も、
母が毎日、次女を預かってくれた。
はじめのうちは、母乳を冷凍して、次女を置いて訓練へ行っていたが
パイパイ生産量がおいつかなくなり、ミルクを導入しましたが、アレルギーが出てしまい
アレルギー対応ミルクは飲んでくれないしで、母と次女も一緒に、訓練先まで来てもらい
お腹が空けば抜け出して
パイパイをあげるスタイルで乗り越えました。
遠足や室外指導の時も、母は次女を連れて、現地まで同行してくれました。
1歳で断乳するまでは、とても大変でした。
まるで男の子のように走り回る次女を
公園で放ち、一度も怪我をさせたことがない、当時70歳。
多分全力で追いかけていたんだろうなぁ。
すごく神経使ったんだと思います。
周りの協力があって、元気に大きくお喋りに成長したと、感謝しかありません。
●難聴がわかるまで
次女が産まれてから、検査ができる3ヶ月ぐらいまでは判らないのに
音に反応するか試しまくりました笑
新スクのない病院だったのと、どうせ、3ヶ月後に長女の難聴診断がおりた病院で
ABR検査を受ける予定だったので、この時は受けませんでした。
音を出すと、瞬きをしたり、音のする方を見ようとしたりして
この子、聴こえてるんじゃないかな〜?なんて期待してみたり笑
ただ、1/4の確率。覚悟はしていた。
〜難聴確定〜
生まれて3ヶ月、まだまだ小さな赤ちゃんが検査をした。
難聴とは知りもせず、長女一人のほのぼの育児の時とは違って、すぐに忙しい毎日が戻ってきたので、結果まで緊張して、泣いて、眠れなくて...という日々ではありませんでした。
検査する→結果を聞く。
までがあっという間で
ほとんど記憶も記録もない。。。
長女と同じ女医さんから
「次女ちゃんも難聴みたい」と言われ
「やっぱな」って感じだった。
ただ、音への反応があったりもしたので軽いのでは?と思っていたのに
「長女ちゃんよりも重そう」と言われ....
個室で、大きな声で
「まぁ〜じかよ!!!!」って
自分を曝け出しちゃったのを覚えています笑
それからまた「そんなに悪い行いしてきたかな〜」、「なんの罰だよ」なんて、しばらくは落ち込んだ。
施設に報告をし、理事長からは「これから長くなるわね」と言われ
次女は、そのまま入室になったような...
診断からすぐに、補聴器を借り
小さなベビーの耳には、とても存在感のある補聴器を装用し
音を存分に楽しみはじめました。