難聴娘達の成長

難聴姉妹の成長

遺伝子検査の結果

●遺伝子検査の結果
●難聴の理解

通い始めてからしばらくして検査結果を聞きに行った。
検査の結果はGJB2遺伝性難聴。

親戚にも、難聴者はいないのに遺伝って.....

ここまでくると、主人と結婚したのは
宿命だとさえ、思ってしまう🙃


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の確率でお腹の子も難聴と言われる。
この時、次女5ヶ月の胎児。

なんだよそれ
もう、言葉も出ない。


その時点で「私、引いたな」って直感したよね。

よく分からない沢山の言葉と
沢山のプリントをいただいて帰宅しました。



遺伝子なので為す術なし。

療育を頑張るしかない。

長女の難聴も、受け入れられないまま
この時胎児の次女の、難聴の可能性をも突きつけられ
重くなりつつあるお腹を抱え、車で片道30分の距離を通う療育のスタート。
「やらなければ喋れない」という強迫観念に犯され始める。

難聴の療育1年生で、何をしたら良いのかもわからない。
先生の言っていることも、よくわからない。
焦りだけが、追いかけてくる。


〜大した事ないよ〜

長女は、言葉という存在に気づくまで、個別訓練のみで
グループ訓練には参加できなかったが、給食は、同じ学年のみんなで食べた。

比べるなと言われても比べてしまうので
個別だけで救われていたと思っていた。

しばらくして、グループ訓練に参加し始めた頃
同じクラスの耳ママ友に、遺伝子検査の結果を報告。

「GJB2⁉️ワ〜イ、仲間〜♬」って笑

ワ、ワ〜イって💦
「生まれてくる子が難聴かもしれないのに笑えないよ」と言うと
「大した事ないよ!だいじょぶだいじょぶ!」と。😲
ものすごく、明るく返ってきたことが忘れられない。

彼女のファミリーも、うちと全く同じGJB2で
難聴姉妹に、健聴の両親という、同じ家族構成。
今でもその肝っ玉母ちゃんには救われ続けている。

悲しみのどん底にいたはずなのに、
時間が経つにつれ、周りに引っ張られながら
圧倒されながら
目の前の課題を必死にやっていた状態だったが
いつの間にか、難聴という未知の障害に向き合っていた自分がいた。

殻に引きこもり、1人でくよくよしているより
人に話し、共感する事は大切な事だと知った。
共感できる友達ができることは、とても有難いと知った。

当時はだいじょばないよ!と思ったけど、
今は「なんとかなるさ」と思える。


●難聴の理解
この頃は、自分自身が闇の中にいたため
将来就きたい職業が、難聴によって叶わないかもしれない。
そういう現実的な話も、していかなければならない年齢になったら
傷つくかもしれない。
と、色々ネガティヴな事しか考えていなかったけれど
年齢が上がるにつれ、娘達も、難聴という事を受け入れられる様になってきて
「耳が悪いから」と、自分達の限界を理解し始めている。

本人たちには、小さい時から、現実的なことを伝えています。
例えばCAさんに興味を持った時、
歌手になりたいと言った時、安易に「なれるよ!」なんて言って
本当にそれを目標に頑張り始め、努力しても報われないと知った時
どれほどのショックを受けるか?想像もつかないから。


歌うのが大好きだから、歌手になりたい!と言った時も
自分の曲を自分で作ったらイケるかも!
ラッパーは音程ないし、ラッパーがいいよ!
と、言ってみたり。

本人たちも、「なんで耳が聴こえないんだ💢」と悲しむ事も沢山ありますが
「耳が聴こえる人だって、何にでもなれるわけではないよ」
「やりたくても、叶わない人もいるし、向いてない事もある」
「耳が聴こえにくい事で、不便もあると思うけど、それだけだ」と思えるような
声掛けはしている。

何か一つに絞らずに、
自分が興味を持った事には、どんどん挑戦してほしい。